龍師火帝の碑

洪水から米沢城下を守るために

ここ「トトロの森」のすぐ近くにある、龍師火帝(りょうしかてい)の碑は、直江兼続が、猿尾堰(木材を菱形に組んだ中に柴で包んだ石を入れて堰き止める「猿尾留」の工法をとりいれた堰)の鎮守として、洪水や大火が起きないことを祈って置いた石碑と言われています。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で西軍に加担した上杉景勝は、翌6年に会津120万石から米沢30万石に領地を減らされ、重臣の直江兼続の指揮で米沢城下の建設が始まりました。
兼続は、城や堀の造築、城下の拡張、原方屋敷の配置などに着手する一方、用水・治水にも心を配り、御入水堰・猿尾堰・帯刀堰を開削し、谷地河原堤防(直江石堤)を築きました。

この猿尾堰は、最上川の水を李山地内より堰揚げし、南原五ヶ町の用水や、米沢城三の丸西側の堀となった掘立川へ水を流し込む重要な堰でした。ただし、堰揚げが難しい場所で、何度か失敗した水路跡もあり、責任者が切腹したことから切腹堰とも呼ばれています。そして、ようやく完成した堰の鎮守として、この石碑を置いたものと思われます。

龍師火帝は『千字文』の一句

石碑は安山岩の自然石で、大きさは、高さ約1.5m、幅約2.9m、厚さ約1.6mと巨大なものです。風化のため、石碑にある文字は薄っすらとしか見えませんが、その中央に、「龍師火帝」と大きく籠彫(字の輪郭を線彫りする手法)され、この左脇に弥勒菩薩の種子ならびに「傳燈叟髄記之」の文字が刻まれています。

この「龍師火帝」も字句は、中国、梁の武帝の命令で、1,000の漢字を四字句からなる美しい韻文にまとめた『千字文』の、第19番目の句です。
龍師は雨風を司る水神であり、火帝は火の神を指します。兼続は僧髄に「龍師火帝」の文字を書かせ、水神・火神に対し、洪水や大火といった水難火難が起こらないように祈祷させたものと思われます。千字文の字句は、漢詩に秀でて、書物の蒐集に尽くすなど、学問を愛した兼続にふさわしい発想と感じます。
堤防が完成した後も、製作作業員の下級武士・原方衆をこの地に住まわせ水害の管理をしていたと言われています。

なお、その後の猿尾堰は、台風等による大雨で何度か破壊され、「龍師火帝の碑」も川の中に埋まったりもしましたが、堰揚げ場所を変えながら現在も用いられ、石碑も引き揚げられて平成12年度施行の河川工事により、上流70mからこの場所に移転しました。そして今も猿尾堰の安全を見守り、米沢に洪水・大火の起きないことを祈るかのように建っています。

トトロの森を守る会 代表

直江兼続とは

NHKの大河ドラマ「天地人」ですっかりお馴染みになった直江山城守兼続とは、一体どのような武将だったのか?兜の前立「愛」には、どのような意味が込められていたのか?

また、こちらも「花の慶次」でお馴染みの前田慶次との関係は・・・。歴史的には、まだまだ解明されていない部分の多い人物ですが、米沢(上杉藩)と深い関わりのあった武将です。直江兼続と前田慶次はこちらから・・・。

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